目的と手段

日本での外国人材の受け入れ拡大を目的とした、入国管理法改正案が衆議院を通過しました。決議までの通過時間が過去最短(17時間15分)として取り上げられています。

 

議論が十分になされていないことから、野党サイドから猛反発を受けていますね。当然のことと思います。

 

今回のケースで言えば、問題の根本にあるのは労働人口不足による国力低下。その解消という「目的」があるのですが、その共通認識が与野党間で十分とれているのかは甚だ疑問です。その状態で外国人の労働力を活用するという「手段」の議論を通そうとしているので、食い違いがひどくなっている印象です。

 

企業組織の中でもよくある風景だなと感じました。

 

何かしらの経営課題に直面したときに、

・問題の根本には何があるのか?

・それを解消することでどのような世界に近づけるのか?

という共通の「目的」が関係者に浸透していないケースが良くあります。

 

そのため、どのように解決していくのかという「手段」レベルの話になった際に、「目的」を脇に置いた「手段」の議論が起こったりします。究極的には、個々の都合にかなり傾斜したアイデアが出てくることが多々あります。

 

「目的」を脇に置いた「手段」レベルの議論は、概して個人間の感情的な対立が起こりやすいです。各人が自分の得意であったり、経験のある手段を押し通そうとするからであり、結果として声の大きい人、積極的な関わりをしている関係者の意見ほど通りやすくなります。

 

その「手段」が「目的」とリンクしていれば推進力も働きますが、最悪の場合には、「手段」そのものは悪くなくても、「目的」とは噛み合わないため、採決された「手段」に納得していない関係者による抵抗にあうなどして、失敗に至るケースもあります。

 

そうならないためにも、そもそもの「目的」を各自が正しく理解することが大事になります。そして、それができていなければ「手段」の議論には入らないこと。もちろん、「手段」レベルの議論に入った際、複数の選択肢がでることもありうりますし、意見が割れることもあるでしょう。

 

そうであっても「目的」意識が同じなのであれば、選択された「手段」アプローチも当然「目的」に適ったものになるはずですので、心理的に満足はできなくとも納得のできるものになると思います。